残っている人たちは、昨日の行事が終わって散らかっているところを掃除しなければなりません。
本来、今日掃除して、朝のお祈り会をしようと思いました。
だから、終わったら水拭きをしておかなければなりません。
使い終わったら掃除しなければなりません。
石が擦り減ってなくなるわけではありませんが、きれいに洗って乾かしたら使うのです。
ご飯を食べたら食器を洗って、歯を磨くことです。
寝て起きたら顔を洗って、きれいにして、装うことです。
私はそのように考えます。
どうして自分の顔だけ洗って、自分のうわっつらだけ洗って終わるのですか?
自分が使った後、どうして掃除しないんですか?
だから神様が私に仕事をさせるのです。
このようなことが、使うことができる条件になるから、使いなさいといって与えてくださったのです。
使うことができなければ、このように下さることもありません。
その人が刀を使うことができる人ならば刀を買い与え、銃を撃つことができる人ならば銃を買い与えるのです。
月明洞(ウォルミョンドン)の作業班はじっとしていて、残りの人たちがやってください。
アプ山もきれいに掃除しなくてはなりません。
私も休んで、登って行かないと思います。
すっきり洗って、きれいに磨いて、乾いた後に再び使うのです。
私が今回使った事を見て、(立ち入りの)綱を張っておくと思います。
使ったら、すべてきれいにしておかなければなりません。
月明洞の人たちだけが管理するのではありません。
月明洞の人たちに管理しなさいと、お金をあげましたか?
服を買ってあげましたか?何をしましたか?彼らが悪太郎(あくたろう)ですか?
彼らだけ行ないます。
彼らは皆、教役者級です。
私は彼らと教役者を、同じ級に置きました。
命をかけて仕事をしているんです。
私は公平です。
昨日、ボールを蹴るのを見たでしょう。
どちら側のチームだからといって、一つのゴールだとしてもひいきしてあげることはありません。
どちらの側に行っても最善を尽くして、無条件ゴールを入れます。
そして私は、公平です。
これが公義です
どの地域だからといって、大めに見てあげることはありません。
もちろん、人々は自分の地域を覚えてくださいと言いますが、聞くには聞いても
「あなたたちの祈りとおりにしてあげるので、分かって行ないなさい。」と言います。
公平でなくてはいけません。
神様の秤(はかり)は公平だと言いました。
1998年5月4日 朝の御言葉より