月明洞開発の思い出 운영자| 2009/01/20 |閲覧数 7,881
  • 월명동

1992年の春、ソウルで執行部をしていた私は、鄭明析牧師が月明洞(ウォルミョンドン)の開発をしていらっしゃり、助けになるお金もなかったので「この体ででも償おう」という心で執行部の仕事を整理して月明洞に来た。


そして鄭明析牧師が摂理10周年行事を行うため舞台を計画し、今の岩の造景ができる前、木と草だった前山に一人ずつ座れるよう、お尻の大きさ位に土をすくい出し、その上に干し草(かわいた草や、小さい木の枝で人が座る時に服が汚れないように使う)や、落ち葉をのせておく手法を直接見せてくださり、そのように2000個を掘りなさいといって、一日中掘った思い出がある。前山が急なため、メンバーたちが楽に座って行事を見れるように自然のスタンドを作ってくださったのだ。しばらくシャベル作業をしながら、鄭明析牧師の弟子たちに向かう心を察することができた。それは愛だった。やはり体でやってみてこそ分かるとおっしゃった御言葉が正しいと思う。


本当に終わりもない仕事が待っていたことを思い出す。すっかり山に囲まれているこの場所には、装備といえばシャベルとツルとリヤカーがすべてだった。オアシス泉も開発し、お母さんの泉も掘り、芝生もさらに植え、山道もつくり、草も刈り、茨の木も取り除き、木を植え、堆肥を与え、運動場も毎日復旧作業をし…。


夏になると前山の前に排水路が適当に掘られたが、一度雨が降るとなぜそんなに滝のように降ってくるのか、すぐに運動場が流されていくかのようで、今の左側の岩の造景が始まる部分の辺りには水が滝のように下っていって前山の土が崩れ流れて、山崩れが起こりそうだった。その時、鄭明析牧師は巡回中でいらっしゃらないのでポンソク牧師が責任者としていらっしゃったが、残っている男性たちを連れて、一日中滝のように降ってくる雨に当たりながら前山がそれ以上崩壊しないように合板をつけ、柱も掘ってみて、大きな岩もそこに入れてみたりして、辛うじて水の流れを若干戻すことができた。本当に重装備なしに人力でだけ開発していた時だった。


月明洞に大きい岩と重装備が入ってくるためには、しっかりした道が必要になった。ソンマンリの入口にコンクリートでできた今の道をつくるため、やっと土地の主人たちとの交渉に入った。その前には村の前のマルコリを通ったが、道が狭く住民たちとの不便が生じていた。作業班で一緒に働いていたグォン・スンボン牧師が私にフォークレーンの監督をやらせた。何をどのように監督したらいいのかも分からず引き受けるようになった。工事班は見守る人がいないと仕事をせずに遊ぶからと、一人が一緒にいて、飲み物も持っていってあげ、ご飯の時間になったら教えてあげ、通り過ぎる人が事故にあわないよう安全をかえりみたらいいと言った。とにかく帽子をかぶったから気分は良かった。シャベルの作業や、鎌仕事をするよりは巨大なフォークレーンの前で(道をどう作ればいいのかも分からないが)行ったりきたりするから格好がついた。この仕事をしながら本当に道をつくることが大変なことだということを体験できた。


日本統治時代に使っていた道であり、その時は非常に広い道だったと言うが、あまりにも使わなかったので畑の主人たちが自分たちのものにしてしまい、道自体がなくなってしまったのだ。それで道をつくろうとするから、畑の主人たちが一寸も奪われまいと争い、 鄭明析牧師とポンソク牧師、そして村の理事長、村の大人たちと、土地の主人たちの押し問答が日々繰り広げられた。今の勾配を上ってくる前、左側に畑があるが、主人が農薬を食べて死んだと大騒ぎになり、村の人たちが止めようとしてひとしきり騒乱が起きた。ここも紆余曲折の末、妥協を見るようになった。そして道の中間辺りに80から100トンくらいに見える自然石の岩があったが、土地の主人が守護神のように仕えていた岩があって、土地を掘るのに岩はそのままにしてほしいと言って、主人が手もつけられないようにしたこともあった。


またソンマンリの前山側の日陰の下に家が一軒あり、柿の木がある橋の上の傾斜をのぼってくる所の山の主人が数日間会ってくれず、あれこれ言い訳をして土地を渡してくれようとないので、進められなかった。しかし結局神様はそのすべてのことを導いてくださって、雪が降る12月のクリスマスと、一年を道を作るところに使い、そのようにして時間を過ごしたら、いつの間にかクレーンの音が止まった。


その当時、作業中に危なかったことが思い浮かぶ。ソンマンリの向かい側の日陰、今の山の斜面の下側に家があり、柿の木がある橋の方で死ぬ目にあったことがあった。その時はフォークレーンの監督について常識がなかったときだった。秋が深まり日も早く沈み、終わる時間30分前くらいだった。村の会館からは何の宴会をしているのか賑やかで、真っ暗な中でフォークレーンの光だけが見えていたが、傾斜面の上にフォークレーンがあり、私は下の方で土が下りてくる所に立っていた。以前ソンマク教会を建てるとき、砂利を運んでいたところだ。絶対に重装備より下側にいたらいけないという常識を知らず、土に敷かれて死ぬところだったことがあった。そのようなことも分からずに作業現場を見上げていたが、フォークレーン技師は私が下にいるのを見る余裕もなかった。


砂利だけ下りてきていたが、突然私の背ほどの岩が砂利と共に押されて下りてきて私の足を敷いてしまった。力なく倒れて、上からは続けて砂利を運んできた。「ストップ!ストップ!下に人がいる!」と大声を上げても「おい~!」と叫んでもフォークレーンのエンジンの音にかき消され、周りに誰もいなかった。神様、イエス様を瞬間呼んで、ここで死ぬわけにはいかないと考えて「傾斜があるし、砂利だから流れるかもしれない。」と思って、力いっぱい横に押した。岩が少し動いて下に流れていった。


片方の足が抜けたので、もう一方の足までも抜け出てきた。辛うじて生きて出てきた私は、こんなことがあったことも知らず作業を続けている技師がとても憎らしかったし、村の会館の前の宴会に食べ物をもらいに行って騒いでいる作業者たちが憎らしかった。私だけが分かって、神様だけがご存知のことだから、他の誰が私が岩と土に敷かれて死ぬところだったと分かるだろうか。上って行ってフォークレーンの技師に窓を叩いて作業を止めろと言った。その時になってはじめて技師は止まり、音を下げた。私が叫んだ。「あの下にいて、岩に敷かれて死ぬところだったのに、俺が大声を上げて叫んでも聞こえなかったのか。」と告げると「あそこにいたのですか?見えませんでした。大変なことになるところでしたね。」と簡単に返事するのだった。私はあまりに衝撃的で深刻だったのにだ。


私はその時考えた。「そうか。このように私の心を分かってくださる方は神様なんだな。そして主の御名を呼んだとき、天の返答が早いのだな。」と悟るようになった。


今考えると本当にぞっとする。


月明洞の開発時には本当に危険なことが多かったが、あまりにも多いからそれをここですべて記録できない。それぞれの人の出来事を集めたらものすごいだろう。明らかなことは、その時ごとに神様が私たちと共にしてくださり、命を守ってくださったということだ。今夜はなぜかそのときのことが思い浮かんで、記録してみる。



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チェ・テミョン牧師


- Translation : RS3987