神様の心を持って生きてこそ、天の国へ行きます。
完全に善人にならなければならなりません。
聖賢になり、聖者にならなければなりません。
それくらいになってこそ、天の国へ行きます。
私がどこかに行って教育させる時、木の枝を切りながら
「あなたたちの心もこのように切らなければならない」と言うと、「あのようにたくさん切るのですか?」と言います。
「切ってみなさい。ただ切るのではない。必要のない枝を切るのだ」と言いながら、全部切り落とします。
八角亭の周りを見てください。
ミヌに任せて、木の枝を全部切りました。
皆さんもそのように切るべきことがとてもたくさんあります。
平凡な松の木ではないからです。
そのようにたくさんの手入れをしなければなりません。
去年はあれほど惜しんだ枝だとしても、今年はバッサリ切ってしまいます。
それだけ、去年より木を手入れする知能が発達したということです。
あることは、昨日はそのままにしておいたのに、今日は取り除いてしまうこともあります。
石も置いておき、次の日の明け方に行ってみて「あそこに置いておく石ではない」と言って抜き取ってしまいます。
それは一日の間にそこに関する知能が育つということです。
信仰も同じなのです。
1998年6月22日 朝の御言葉より